
会いたい、ぎゅうってしたい。
先日二度目の月命日を迎えました。穏やかな気持ちで迎えた朝でしたが、やっぱりいろいろ思い出して泣いてしまいました。
今日もインスタグラムに載せていた過去の動画を見たらおしゃべりする姿がかわいくて、「なんでグリは今ここにいないんだろう」と悲しくなってしまい号泣してしまいました。失った悲しみをかなり乗り越えたつもりでいましたが、折りに触れ、こうして急に悲しみが襲ってきます。まさに不意打ちです。
そういえば先日、グリのお別れにお花を送ってくださったみなさんにグリの写真をコラージュしたお礼状を作って送りました。長くかかったお礼もひととおり済み、いろいろと気持ちに整理が付き始めたかなと思った矢先にこんなに号泣してしまった自分にびっくりです。
いつかまた会えると思っても、なかなか涙は枯れてくれません。会いたいなあ、ぎゅうって抱きしめたいなあ。おしゃべりだったグリとおしゃべりしたいなあ。その思いが募ります。なかなか乗り越えられないものですね。
コメント
はじめまして。
月命日はどうしたって悲しみがこみ上げますよね……。
わたしも、まさかと思うタイミングで不意打ちを何度も食らいました。
恥ずかしいと思うときもありましたが、これは、泣いていいよというサインだと思って、
わんわん泣きました。
そのたびにいろんなことが思い出されて、泣きながら浄化しているような気持ちになりました。
先日、多頭飼いしていたわんちゃん達を立て続けに亡くしたご経験のある方のお話を伺ったのですが、
その方は「ペットロスは乗り越えなくていいと思う」とおっしゃっていました。
「ペットロスはとても自然なことだし、無理に乗り越えようとか忘れようとかは心や体の負担になるから
やめました」、とおっしゃっていたんです。
それを聞いて、私はすごく納得したし、感動さえしました。
その方は、「思い出すたびに泣いていたし、今も涙は出ますがそれでいいんです」とおっしゃっていました。
その時、一緒にお話を聞いていたアニマルコミュニケーターさんが、「あの子たちは虹の橋に行っても、いつでも行きたいときに大好きな飼い主さんのところに行けるし、見守っていますよ」とおっしゃってました。
有名な「虹の橋」のお話では飼い主さんがそこに行くまで会えない表現ですが、あまり気にしなくても良いのでは?とのことでした。
私の周りにも、ペットちゃんが虹の橋に行ったら、自分が一生を終えるまで会えなくて寂しい思いをさせている、とお考えの方がおられますが、リーディングさせていただくと、どの方の場合も、ペットちゃんが飼い主さんのそばに来ているときがあり、一緒に旅行を楽しみにしていることもありました!
つい、コメントしてしまってすみませんでした。
もしよかったら、そんな話もあるので、わずかでもお気持ちが楽になっていただけると嬉しいです。
12月に入り寒さが強くなってきました。どうぞ温かくしてお過ごしくださいね。
@ともちゃん ずいぶん前にコメントをいただいていたのにお返事してなくてごめんなさい。そしてコメントありがとうございます。ここんところ仕事がいまだかつてないほど猛烈に忙しいのと、今になってまたグリが恋しくて恋しくて、あまりここへ来られなかったのです。
なぜかわかりませんが、12月にはいってから毎日グリが恋しくてべそべそ泣いています。なんでここにいないの、抱っこできなくてさみしい、戻ってきてほしいと。10月・11月はそこまでじゃなかったように思うんですが…。ここ最近の寂しさが半端なくて、苦しいです。用事があって外に出ても、友達としゃべっていても、仕事中でも、会議中でもちょっとでも気を抜くとあっという間に涙が湧き上がってきてしまいます。最初はそこまでペットロスを引きずらないだろうと思っていたのに、ここ最近本当にダメです。
虹の橋がいいところでグリはもう苦しくない、痛くないんだ、たまには遊びに来て、私のそばにいてくれるんだと自分に言い聞かせてみても、やっぱり見えないし、抱きしめられないし、絶対にできないってわかっていてもここにいてほしいんです…。
寒いのと仕事忙しいのとで心が弱ってるのかな…。月末には実家の庭にお骨を埋葬するつもりですが、最近また手元においておきたいと思うようになってしまいました。どこかで区切りをつけなきゃいけないのはわかってるんですけど、やっぱり辛いです。今日もわんわん泣いてしまいました。